本来、インターネットのサービスは国民性とは無関係なはずなのに、日本発のサービスには妙に湿っぽさを感じることがある。
自分がブログを書き始めたのは1990年代だった。当時、日本でははてなダイアリーが一番人気だったと思う。で、自分もはてなダイアリーを書き始めたことがあるのだが、全く続かなかった。というより、なんか肌に合わない感じがあって、サービスそのものを使おうという気が湧いてこなかった、というのが正しい。
いろいろ試した結果、一番しっくりきたのがBloggerだった。日本人のユーザは少なめだったような記憶があるし、コメントもあまりこない、読者がどれだけいるのかもよくわからない、そんな感じだった気がする。でも、そういう「ほったらかされ感」が心地よかったんだと思う。
話はとぶが、自分はそもそも実世界でもあまり人付き合いが好きではない。仲間と一緒に遊ぶよりは一人でいたほうがいいし、人混みに出かけると疲れるし。
Bloggerは、ひとりにしといてくれる、ような感じがしたのだと思う。
後になって思い返してみると、はてなダイアリーは仲間を作ることを促進していくような仕掛けがいろいろあるように思った。はてなブックマークとの連携とかね。こういうのに、日本人の国民性にも通じる湿っぽさを感じて、それが嫌だったんだなあ、と思う。もしかしたら、日本人の平均的なニーズがその辺にあるのかもしれないけれど、だとしたら、私は平均からズレている、のだろう。
なんでこんな昔話を持ち出したのかというと、noteにはてなダイアリーと同じような湿っぽさを感じたからだ。Mediumの日本人ユーザの過疎さ、読んでもらいにくさに思うところがあって、しばらく note で記事を書き続けてみたのだけれど、なんかしっくりこない。で、久しぶりに Medium を使ってみると、やっぱり記事を書くときに、noteよりずっとしっくりくる。
noteのしっくりこなさ、Mediumのしっくり感、この差はなんだろう、と考えたときに、20年も前の、はてなダイアリーと Blogger の印象を思い出したのだ。Mediumは、あまりユーザ同士を繋ごう、としてこない。興味があればどうぞ、みたいな、ある種ドライなコミュニケーションの薦め方をしてくる。まあ日本人ユーザが少ないから、だけかもしれないけど、その辺のドライさが「ほったらかし感」があって、自分には心地よい。noteは、なんかオススメの仕方がおせっかいっぽいというか、湿っぽい。ここが自分にとっては嫌なんだろう。
ということで、相変わらず日本人ユーザがほとんどいないけれど、自分にとっての心地よさを重んじて、Mediumに戻ってみることにした。しばらくこちらを本拠に、文章を書いてみるつもりである。