マニュアルフォーカスをあえて使う

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最近どこかで「写真を撮る人の視点は、写真のどこにフォーカスを合わせるかで表現される」みたいな趣旨の発言を見て、えらく得心した。それ以来、なるべくマニュアルフォーカスを使って、自分がどこにフォーカスを合わせたいのかを考えながらシャッターを切るようにしている。

私が普段写真を撮ろうとするときは、何かに目が留まって、そこを注視するような感覚の延長としてカメラを向けることが多い。だから「どこに目が留まったのか」を表す方法として、そこにフォーカスを当てるというのは理にかなっている。実際、そういう気持ちを持って撮った写真は「何に目を向けたのか」がよく表されていて、いいな、と思える写真が多い。

上の写真は、夜の遊歩道に落ちていた落ち葉にフォーカスを当てた。ちょうど電灯の光によってできた枝葉の影の隙間で落ち葉が照らされていたのが目に留まったのである。

今日のような雨上がりは、マニュアルフォーカスの出番が多い。最近、水溜りに映り込む風景を撮ることが多いのだが、これを普通にオートフォーカスで撮ると、水溜りの周辺や水面そのものにフォーカスがあってしまうことが多い。すると、下の写真のような感じになる。

オートフォーカスの動作としては正しいのかもしれないが、自分の視点はこうではなく、水溜りに映った風景に目が留まったのである。すると、水面よりもずっと遠いところにフォーカスを合わせる必要がある。光の反射を考慮して「折れ曲がった距離」にフォーカスを合わせなければならないわけである。

これはマニュアルフォーカスで調整しないと上手くいかない。マニュアルフォーカスにするとこんな感じになる。

地面や周囲の物体がややぼけるのだが、やむを得ないし、カメラを向けたときには自分は「地面や周囲の物体は見ていない」のだから、このぼけの表現は正しい。

カメラの動作の自動化が進み、AIによる撮影のアシストも進む昨今、写真撮影において人間は何をするのか、は思索を重ねなければならないと思っている。視点の表現としてのマニュアルフォーカスは、この問題に対する答えの一つではないか。

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国島 丈生
レンズの向こうの記憶

情報科学分野の大学教員。遠距離通勤の道すがら写真を撮る毎日。小さいカメラが好き。BSD/Mac/Ruby/Rails/Web/関数型言語/マークアップ言語/弦楽四重奏/ルネッサンス音楽/フェルメール/北欧デザイン/写真/組版/タイポグラフィ/浄書/中世文学/陶磁器/書